みたにっき@はてな

三谷純のブログ

大学改革が難しい理由

これまでに、大学改革と言う呼び名の各種の取り組みが、幾度となく繰り返されてきました。

 

大事なので、もう一度繰り返しますね。

 

これまでに、大学改革と言う呼び名の各種の取り組みが、幾度となく繰り返されてきました。

 

私は国立大学教員として10数年程度の経験しかありませんが、その間、毎年のように大学改革と言われ続けてきました。おそらくは、それ以前からも改革改革の呼び声が続いてきたことでしょう。

 

正直なところ、改革という言葉に対する感覚も麻痺してしまった感じもします。


今回話題になっているこちらの話も、つまるところは給料と書かれていますが、もう少し読み込むと、優れた研究者に見合った処遇の問題ということになるでしょう。

 

withnews.jp

 

もっと踏み込めば、研究のできる教員には研究しやすい環境を、そうでない教員には、研究以外で力を発揮する場の提供を、という、適材適所の発想が、なぜ大学ではできないのか、ということに行きつきそうです。


これだけ大学改革と言われ続けながらも、研究できる人にはそれに報いることで全体の最適化を図る、という経済の原理では当然と思えることが、なぜできないのでしょうか。


全体の最適化の必要性は、大学にいる人たちだって、ほぼ全員わかっています。

でも、できない。

実現することがとても難しいのです。

 


大学の教員は、商店街の個人経営者に喩えられることがあります。

 

私から見た大学の様子を、商店街の運営に置き換えて書いてみたいと思います。


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商店街では、商売のネタは店舗の主が自分で決め、必要な予算も店主が自分で外部から集めてきます。

商店街には、花屋もあれば、金物屋もあり、飲食店もあります。同じ商店街に軒を並べていても、商売の内容は様々です。

 

商店はそれぞれ独立していますから、他の店の商売に干渉するようなことはなく、店主は自分の責任で店を運営します。

 

当然、時流に乗って華やかな店もあれば、昔ながらの商品をこだわりを持って取り扱う店もあります。外部から大きなお金を入れて、大量の店員を雇用し、幅広く展開をしている店もあれば、少人数で小さく運営している店もあります。


商店ごとのつながりは緩く、商店街全体での取り組みは、皆が参加する組合で協議します。


商店街の美化活動には、皆が労力を出し合います。当然、売り上げの大小にかかわらず、平等に参加することが求められます。パンフレットの作成や、組合費の管理などは、年度単位で交代する委員会で回していきます。

組長は一応選挙をしますが、ほぼ持ち回りで順番に数年単位で担当します。

 

これまでの経営は、こんな感じでも十分にうまく機能し、個々の店主がそれぞれに経営努力することで、商店街全体がうまく回っていました。

 

しかし、時代は変わります。

 

人口が減りつつある中、郊外型の大型店も増え、商店街全体の売り上げは低下傾向となってきました。

 

商店街ランキングが毎年発表されるようになり、お客さんがランキング上位の商店街に流れるようになってきました。

 

さあ、大変です。

 

さっそく商店街活性化のための委員会を立ち上げ、新しくパンフレットを作ったり、商店街のWebページをつくったり、または祭りの開催回数を増やしたり、花火大会をしたり、あれこれ頑張ることとなりました。

 

それ以外にも、公衆無線LANの整備、避難経路整備、AEDの設置、防災訓練、電子カード決済への対応、衛生管理、防犯カメラの設置などなど、時代の要請に応じて、すべき仕事は増える一方です。

 

「私の店舗は売り上げが大きく、商店街の活性化に貢献している。売り上げの小さい店が、そういった諸々の仕事を引き受けるべきだ」


という理論など通るはずがありません。
これは、商店街全体の問題なのですから、全員で取り組むべき問題です。


こうして、委員会の数はいくつも増え、会議も連日開かれることになります。


そんな様子を見て、国も地方の商店街の支援に乗り出します。
いろいろな改革のための方針を示し、「商店街活性化のためのスーパーグローバル助成金」を整備します。

 

商店街では、さっそく助成金をもらうために申請書を書くこととしました。
「グローバル化」というキーワードを含めるために、「イタリアの○○モールとの提携」とか「インバウンド消費を呼び込むための海外に対する広報」とか「Webページの五か国語対応」など、助成金がもらえる可能性が高そうな申請書を頑張って準備します。

本当に実効性があるかどうかわかりませんが、まずは助成金をもらうことが第一です。

 

さて、こうしてめでたく国からの助成をもらえることになりました。
今度は、申請書に書いた通りのことは少なくとも実行しないといけないので、能力のある若手店主が駆り出され、イタリアに行ったり、中国語のパンフレットを作ったり、Webページの多言語化の対応をすることになります。

 

こうして、本来の商売とは異なる仕事が増え、売り上げは増えるどころか減る一方です。

 

国は矢継ぎ早に助成金のためのプログラムを整備します。「海外の優れた店舗の誘致支援プログラム」「魅力的な商店街づくりプログラム」「大手企業との連携推進プログラム」などなど。

 

毎年毎年、プログラムへの申請書作成と、プロジェクト推進、その後の報告書に明け暮れる毎日です。

 

それでも成果が出ないので、「より厳密な業績評価」が導入されるようになりました。

 

国も商店街も、市民の期待に応えるよう精いっぱい頑張っています。

 

と、そうこうしているうちに、能力のある若手店主は、香港の商店街で一旗揚げようと出て行ってしまいました。

 

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この商店街の、それぞれの店主が活き活きと働き、街の豊かさに貢献できるようにするには、いったいどうしたらよいでしょう。

私は、明快な答えを持ち合わせていません。

 

6月中旬に発売されるという、次の書籍の内容が気になります。

www.nakanishiya.co.jp

ヤフー時代の記憶

ヤフーの元社長である井上さんが事故で亡くなったという記事を見て動揺しています。

 

 

www.nikkei.com

 

私は大学院を休学してピー・アイ・エムというモバイル系ベンチャーで働いていた2000年、9月に企業ごとヤフーに買収されるということを経験し、それから2001年2月までの6か月間、ヤフーの社員として働かせていただきました。その当時、企業のトップとして社員を牽引されていた、まだ40代だったころの井上社長の姿を思い出します。

 

当時のヤフーはまだ社員数が500人前後で、社員全員が一堂に集まることもできる程度の規模でした。井上社長には、ヤフーとの合併が発表された直後の食事会や、社内でのイベントなどでお話しする機会があり、また、私が退職するときには社長室で直々に、大学で頑張れと激励をいただきました。社長室には、たくさんのガジェット(おもちゃ)があったのが印象的です。

 

後にも先にも、大企業の社員として働いたのは、このヤフー株式会社だけなので、今でもよく記憶に残っています。

 

当時はベンチャー企業でiモード対応のWebアプリを開発していたことから、その開発メンバー丸ごと、ヤフー社内のモバイルチームに配属され、当時運用されていたPC向けサービスを順次、モバイルに移行する作業に取り組みました。

 

マイYahoo!の入口ページや、ヤフー天気、ヤフー掲示板など、メンバーで手分けして担当しました。いくつかのサービスに関わった記憶がありますが、とにくかく大変で印象に残っているのが、ヤフーオークション。ユーザー同士の売買が絡むサービスなので、不具合時の影響が甚大で、またアクセス数も膨大ですから、PC版の開発チームとQAチーム(Quality Assuranceチーム)と共に、かなり神経をすり減らしながら作っていった記憶があります。

 

モバイルチームは途中から、Yahoo! Everywhere チームと名前を改め、Yahoo!のサービスをどこでも使えるようにすることを目指しました。ロゴの付いた青いTシャツが、今でも思い出として手元に残っています。このEverywhereチームには、井上社長からの大きな期待が託されているものと感じました。

 

月間○億ページビューを目指す、というような目標を立て、チーム一丸で頑張った当時が懐かしいです。

 

当時のオフィスは、在籍中に1回、全体の引っ越しがありバタバタしましたが、いずれも表参道で、自転車で通える距離でした。ランチの時間になると、ベンチャー時代のメンバーで連れ立って、近くの定食屋に食べに行きました。

 

私はその後、大学院に戻りましたが、その時のメンバーは、ヤフーを離れて新しい会社を立ち上げたり、海外で活躍したり様々ですが、一方で、ヤフーに残ったメンバーは執行役員や、副社長(!)になったり、大活躍しています。

 

社員数わずか10数名のピー・アイ・エムというベンチャーを買収する。当時の井上社長が下した判断は正しかったのだと思います。

 

今では、社員も約5800人まで増えたそうで、当時とは、大きく雰囲気が違っていることでしょうが、私にとってのヤフーは井上社長時代のヤフーです。

 

井上雅博氏の訃報に触れて、当時の思い出を書いてみました。

スペイン出身のアーティスト、ホセマリア・シシリア氏との対話

今日は岩手の盛岡に来て、スペイン出身のアーティスト、ホセマリア・シシリア氏(

José María Sicilia - Wikipedia )とたくさん話をしました。

 

私の折り紙に興味をもったということで、この春に筑波大学に来てくださったのですが、その後また来日して岩手で活動をしているということで、ご招待いただきました。

 

次のページを見ることで、ホセマリア氏の日本での活動の一部を知ることができます。

motion-gallery.net

 

上記のページから、一部を引用します。

2011年、「津波によって、多くの人たちが自分たちのスペースから追い出されたことを知り、実際に自分の目で状況を確かめようと来日しました」という彼は、震災により何千という人々が住むところを失ったことに大きな関心を抱き、それを題材にした作品を作ろうとすぐに立ち上がりました。

東北をまわったシシリア氏は、釜石、陸前高田、大船渡、福島、南相馬、などの40を超える場所で、精神療法医や専門家らと共に、子どもたちに3・11の体験や思い出を芸術的に表現させるワークショップを開きます。

 

 

とあるように、ホセマリア氏の関心は震災後の被災地の子どもたちにあります。

 

 今日、実際にご本人から聞いた話の中で、これまでのいろいろな取り組みを聞かせていただきました。

 

たとえば、2011年3月のカレンダーに当時何があったかを書いてもらうワークショップを開いたり、放射線をイメージとしたオブジェを作ったり、我々日本人からすると、躊躇してしまうようなことに果敢に取り組んでいるそうです。実際、ワークショップでは大人たちからの反発も多かったそうです。

 

しかし、それは何よりも被災地の子どもたちのこれからの人生において、現実に目を向けて生きていかなければならない、という厳しいメッセージを伝えるためのようです。もしかしたら、私たち日本人が現実を直視せずに、時とともに風化していくのを待っているような姿に対して警告するものなのかもしれません。

 

ワークショップの開催は、カウンセラの方々のサポートのもと、心のケアには細心の注意を払っているそうです。

 

ホセマリア氏の、放射線をイメージしたという花のような形のオブジェを私が初めて見たときには、正直なところ、なんだこれは?と思ったのですが、氏から直接「現地の子どもたちは、放射線というものに正面から向かい合わなければならない。それが現実だ。」という言葉を聞いた時には、衝撃を受けました。

 

 

ホセ・マリア・シシリア 福島・冬の花 José María Sicilia, Fukushima Flores de invierno: GaleriaLIBRO

 

そして、アーティストは哲学を持たなくてはならない、作品に対して十分に説明できなくてはならない、というような、とても含蓄のあることを(こんな風に書いてしまうとあまりに簡単にまとめすぎですが)、一緒に食事をしながら、ゆっくりたくさん話をしてくれました。

 

私などは、単に綺麗で目を惹く、珍しい形であれば、なんとなくアート作品ぽいものができると軽く思っていたところがあるので、深く反省しているところです。

 

岩手はちょうど桜が綺麗な時期です。

それでも、「私はここに観光に来ているのではない、仕事に来ているのだ」という言葉を、カッコイイと思いました。

 

下の写真は、私が持って行った折り紙作品に、ホセマリア氏が、おもむろにパセリを乗せたところ。

 

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お皿にパセリを乗せて、「よく見ろ」と言った後で、今度は折り紙にパセリを乗せて、「さあ、さっきと何が違う?」と質問されました。

まるで禅問答のようです。

 

見えるものだけが全てではない、奥の深い世界の片鱗を見せていただきました。

今回の話の中で、コラボレーションの提案をいただきましたが、私に務まるでしょうか。

 

これまでに受けた取材依頼

今日は、本学の4年生から取材の依頼を受けて、1時間ほど話をしました。

 

取材で必ず尋ねられる3大質問は、「なぜ今の研究テーマを選んだのか」「今の研究がどのように役立つのか」「今後、どのようなことを実現したいのか」というもので、今回も当然このような質問が含まれていたのですが(私は2つ目と3つ目の質問に答えるのがとても苦手です)、それ以外にも、大学時代に何に興味を持っていたのか、どのようなサークル活動をしていたのか、はたまた、休学中のベンチャー企業での仕事の内容や理化学研究所でのことまで含め、これまでの半生を語るような具合で、ずいぶんとたくさんお喋りをした気がします。

 

熱心に話をきいている様子が伝わってきて、いろいろ核心を突いた質問もあり、インタビューの仕方も、とても上手でした。

 

これまでの多くの取材では、まずは自分の研究内容を理解してもらうのに大半の時間を費やすことが多かったですが、今回はその点が完全に省略されてしまっていたので(大半はインターネット上の情報で事足りると思います)、普段は、あまり触れることのない内容まで話が及んで、なかなか楽しい時間を過ごさせてもらいました。

 

思うに、肩ひじ張らないで、気軽なお喋り感覚で受けられる取材は、受ける側も楽しいです。私の折り紙に関する研究に理解があると、なお嬉しいです。

 

場合によっては、折り紙の研究にはあまり興味は無いけど、仕事で取材に来ています。というのが伝わってくるような取材を受けることもあり、そのような場合は、こちらもなかなかエネルギーが湧いてきません。

 

それでも、雑誌や新聞は、一通りのことを話せば、あとは先方が重要と思うところをピックアップして編集してくれるので、あまり負担には感じません。

 

一方で、テレビ関係の取材は、かなり負担感があります。

映像として見せるために、パソコンを操作しているところ、折り筋を加工している様子、作っているところ、・・、と様々な場面を撮影することになるので、どうしても準備の時間も、取材対応の時間も長くなります。また、質問に対する回答も、しっかり簡潔に、それなりの映像として納めなければならないので、リテイクがあったりして、どうしても芝居っぽくなってしまいます。さらに、事前に「こういうことをしゃべってください」と言われることも多く、これがとても苦手です。微妙にこちらの意図と違っていても、番組構成上、どうしてもこういうことをしゃべって欲しい、という事情もあるのでしょう。

 

何度か、このような経験をしてから、テレビに映る研究者のインタビューを見ると、「こういうことを言って欲しい」と頼まれたんだろうなぁー、とか、「パソコンに向かって何か操作している様子を撮らせてください」と言われたんだろうなぁ、とか、その背景を推測してしまうようになってしまいました。

 

もちろん、このような取材を通して、今の活動を多くの方に知っていただけることは大変ありがたいことです。今後も取材の依頼には積極的にお応えしていこうと思っています。ただ、これまでの記録を見てみると、新聞30件、テレビ16件で紹介いただいたことがあり、もう取材のピークは過ぎたかなぁ、という気もします。

 

機械学習の「半教師あり学習」の簡単な説明

機械学習の応用として、画像の分類がよく例に挙げられます。

 

与えられた画像に対して、「これは猫の画像」「これは犬の画像」というように分類することが目的になります。

 

これには、前もって「犬」とか「猫」などのラベルの付いた画像を準備して、それぞれのラベルに対応する特徴を学習しておくことで、新しい画像に対して「犬の確率○%」というような出力をします。

「これは犬なんだよ」ということを前もって教えておくので、「教師あり学習」と呼ばれます。

 

一方で、そのような情報を与えずに、いきなり「これらを分類してみ」というのを「教師なし学習」と呼びます。

事前に何も教えておかないので、当然「これは犬ですね」なんて答えることはできず、「全体として3つのグループに分かれるっぽいよ。で、これとこれは違うグループっぽい」とか、そういう出力になります。

 

では、「半教師あり学習」とは何でしょう。
これは、ラベルの付いた画像と、ラベルの付いていない画像を使います。

ラベルの付いた画像を準備するのは手間がかかりますが、ラベルの付いていない画像は簡単に集まります。

直感的には、ラベルの付いた画像だけあれば十分で、ラベルの付いていないものがたくさんあったとしても意味がない気がします。でも、ラベルの付いていない画像があることで、学習効果を高めることができます。

 

そのことを、「ラーメン」と「うどん」の識別を行う例で考えてみましょう。


事前に「ラーメン」とラベルが付いた画像と、「うどん」とラベルの付いた画像がいくつかあるとします。でも、数が十分でないと、どちらもなんとなく似ていて、どこを見て判断すべきか微妙だったりします。

 

たまたまナルトが写っているラーメン画像が多かった場合、「ナルトがあればラーメンだ」「ナルトが無ければうどんだ」と判断することになるでしょうし、たまたまラーメン画像には全て赤い器が写っていた場合、「赤い器があればがラーメンだ」と判断することになるでしょう。

 

さて、ラベルなしのデータ群の中から、この「ラーメン画像」と似ているものを探してみます。すると、全体的にラーメン画像に似ているけども、ナルトが写っていないものや、赤い器ではないものが見つかります。
そうすると、「ナルトを基準に判断するのはあまり適切でない」とか「器の色では判断しきれない」ということがわかります。

一方でラベルなしのデータ群の中から「うどん画像」と似ているものを探してみると、赤い器に入ったものが見つかったりします。

そうすると、ラーメンとうどんの違いは、器の色ではなくて「麺の色や太さで判断するのが適当そうだ」という結論に近づくことになるでしょう。

 

このように、「確実にラーメンな画像と、それに似た画像の集合」と「確実にうどんな画像と、それに似た画像の集合」から、「ラーメンとうどんを見分ける基準」が、より適切になる可能性があります。

 

このように、ラベルの無い画像も画像の分類の精度向上に役立てることができるのです。これが、「半教師あり学習」の利点の一つです。

 

人工知能が社会に影響を与えることについて

今日はAI研究の最先端で活躍する方々による、ディスカッションを聴く機会がありました。

 

技術的な話というよりは、AI技術が社会に与えるインパクトについて自由に話をするもので、人間の考えや行動にAIが影響を与えることが十分に可能となったときの懸念が主なテーマとなりました。

 

もはやAIに関する記事が新聞の紙面に出てこない日は無いくらいに、人工知能に対する期待と不安が社会的な関心事になっていて、私自身も、最近特に、仕事の場においても人工知能について考えさせられる機会が増えてきました。

 

以前のブログ

人工知能が私たちの考えに影響を与えるとき - みたにっき@はてな

に書いたばかりですが、私は自分の考えや行動が、気づかないうちにAIによって影響を受けてしまうことを、良いことととらえるべきかどうか、難しいと感じています。

 

今回の議論では、人間には認知バイアスというものがあり、ものごとを誤って認識することが多々あるので、AIによって、それを補うことができるという発言があった一方で、AIが、かえって、その認知バイアスを強化する方向に働くことの懸念も示されました。

 

英語版のWikipediaには、認知バイアスのリストがあって、そのページを見ると、驚くほどの種類に圧倒されます。

 

f:id:JunMitani:20170425223533j:plain

List of cognitive biases - Wikipedia


私たちの判断は、いかに危ういバランスのうえに立っているかを再認識されます。

 

今、多くのワープロソフトが、英単語の綴りミスを指摘してくれ、ときには自動修正をしてくれます。冠詞や時制の誤りを自動修正してくれるワープロソフトも、すぐに実現できそうです。もうあるかもしれません。

 

そのうち、イディオムの誤りや文法の誤りを直してくれ、不自然な表現を気の利いた言い回しに直してくれるようになるかもしれません。


文章の論理的な矛盾を指摘して直してくれたり、全体の構成まで手直ししてくれるようになったとき、それは自分の考えを表したものと言えるでしょうか。

 

将来的には、キーワードを含む2,3行の文章だけから、格式高い長文が自動的にできるかもしれません。こうなると、まさに星新一の『肩の上の秘書』の世界です。

文章を読む方は、自動要約ソフトで2,3行に要点を絞ってから読むことになるかもしれません。なんとも空しい話です。


すでに実現している、レコメンデーション機能の多くは

「あなたはこれが好きでしょうから、これはどうですか?」

と、利用者の好みをさらに強化する方向に働くものが多いですが、

「あなたは、こういうのばかり観ているから、もう少し、こっちの分野のものも観てみてはどうですか?」

というふうに、視野を広げる方向に機能するといいな、と思うのですが、これもまた、AIによる思想のコントロールにもつながるのではないか、という懸念は避けられそうにありません。

 

人工知能について、考え出すと、夢のある話と、それとは反対の話と両方が出てきて、悩まされます。

 

今日の議論の最後は、「仮に人工知能が我々の社会に大きな影響を与えるようになっても、人間が人間らしく生き生きと活躍できる社会が大事である」という、至極まっとうな話で幕を閉じました。

 

ものごとの終わらせ方について

文部科学省が、国公私立の枠組みを超えての統合を視野に入れた大学再編を検討しているという記事。

 

www.sankei.com

 

いよいよ大学も統廃合を考えざるを得ない時代になったのだと、しみじみ思うところがあります。

 

記事にある通り、これから18歳人口が減少する一途ですから、増えすぎた大学をどのように減らしていくか、という議論が必要でしょう。

 

大学進学率を高めるとか、社会人にも大学に来てもらうとか、留学生を増やす、などの取り組みが言われてきましたが、それでももう、今あるだけの大学の数は維持できないということでしょう。

 

つぶすにつぶせないとズルズル長引かせて、かえって傷を深くすることもあるでしょうから、明確な指針を国が主導して示すということには意味があるものと思います。

 

実は最近に、次の本を読んだばかりだったりして、

倒産するとどうなるか (アスカビジネス)

ものごとをうまく終わらせる、というのは、その後のためにも、とても大事であると感じていたところです。この本では、みんな知らないだけで、専門家の手によって上手に会社を倒産させる方法がある、ということが紹介されていました。


ほかにも、別荘を買ってしまった後に、それを売却しようと思っても買い手がいないときにはどうするんだろう。。

ニートが熱海に別荘を買った話(後編)<移動時間が好きだ>pha - 幻冬舎plus


とか、古くなったマンションの解体が遅々として進まずに大きな問題になっているとか。

限界マンションへの対応 - 次に来る空き家問題 - : 富士通総研

 

こういう記事を目にするたびに、最初は勢いで物事を進めても、後々に、それをどう処分するかという問題によって大変なことになるケースが多くあるような気がします。


企業であれば、市場原理によって倒産になるでしょうし、物はいずれ壊れるでしょう、だけど、目に見えないものはどうでしょうか。

 

例えば、地域のお祭りとか、私の身近なところだと学内イベントとか新しく始めたサービスとか、学会運営とか。
誰か一人が最後まで責任をもって「解散!」という判断ができればいいですが、数年単位で代表を引き継いでいるような場合には、どうにかして自分の代だけは上手に乗り切ろうと頑張ることになってしまいます。このような傾向は、役所にも多くみられるものと思います。

 

時代とともに、その必要性が薄れたり、担い手が減っていく中で、よくある表現では、ババ抜きの状態になってしまって、後に行くほど継続がしんどくなります。

 

時代の変化は加速する一方で、人口が減っていく、若手が減っていく、そういう時代に、まさに、このような状態で苦しんでいるところが多いのではないかと感じることがあります。

 

何か新しいことを始める前に、何かを上手に終わらせる、その一般的な方法や、終わらせる基準、というものがあれば、もう少し楽になるのではないかな、と思うのです。