みたにっき@はてな

三谷純のブログ

折り紙とダジャレの共通点

折り紙の研究集会後の懇親会での話の流れから、大学生のころに「猫が寝込んだ」系のダジャレをたくさん集めていたことを思い出しました。


今から15年以上も前の話で、今になって引っ張り出すのも恥ずかしい話なのだけど、
過去のアーカイブ情報を探したら、こちらに見つけることができました。

http://web.archive.org/web/20010103172700/http://www.cim.pe.u-tokyo.ac.jp/~mitani/Kotoba/Neko/nekoview.html


「神が仮眠だ」とか「牙が黄ばんだ」とか、今見ても面白いと思うようなものもいくつか(^^


ダジャレというよりも、言葉遊びが大好きで、回文も集めていたりしました。
こちらには当時あつめた300個以上の回文があります。とても全部みてられない。

http://web.archive.org/web/20010217050640/http://www.cim.pe.u-tokyo.ac.jp/~mitani/Kotoba/Kaibun/index.html

あらためて、若いころは、どうしてこんなものにエネルギーを注いでいたんだろうか、と思ってしまいます。


今は折り紙の研究をしているのだけど、昔は言葉遊びが好きだったなあ。どうしてだろう。何か共通点あるかなあ。
と、ふと思い、ダジャレと折紙には、次の共通点があると気づきました。

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与えられた制約の中で、あれこれ試行錯誤して、その制約の中で実現可能な何か新しいものを発見する楽しみ
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このあたりが、なんとなく自分なりに腑に落ちました。
そういえば、折り紙の「悪魔」で有名なMさんも、ダジャレ大好きだ!


当時、こんな僕のダジャレと回文を見た友達が
『集合「猫が寝込んだ」と集合「回文」の排反性の証明』
なるものをまとめてくれて、とても感心しました(今、彼は大学の准教授をしています)。
http://web.archive.org/web/20010108183800/http://www.kaba.or.jp/~ksknac/Free/Koneko/koneko.html

この論文から読み取れる、
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与えられた制約がどのようなものかを明らかにして、何が可能で何が不可能かを示す
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という姿勢は、折り紙の研究にも(折り紙以外の研究にも)、共通して言えることだなぁ、と思ったのでした。