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みたにっき@はてな

三谷純のブログ

論文査読の話(どれだけ引き受けるべきか)

論文査読の依頼をどれだけ引き受けるべきか、というのは、ほとんどすべての研究者が共有する悩ましい問題と思います。

 

論文の質の維持のためにもピア・レビューの仕組みは無くてはならないものですから、コミュニティへの貢献、ひいてはアカデミアの世界の維持のためにも、できる限り、依頼された査読は引き受けたいものです。

 

実際のところ、自分が論文を投稿した時には誰かに査読をしてもらうことになるのですから、査読を引き受けるのは「おたがいさま」ということになります。

 

査読を通して、最新の研究論文に触れることができ、また評価をしなければいけないという責任感から内容を深く読むことになりますから、結果として得るものは多くあります。

 

以上のような理由から、私はこれまで基本的に査読の依頼は断らずにきました。ただ、最近は増える依頼と使える時間の兼ね合いから、なかなか難しいと感じることも多くなってきました。

 

査読の依頼は不定期に舞い込んでくるものなので、時間の確保が難しいときもありますし、自分の専門分野と少しずれていたりして、なかなか苦労することもあります。論文の内容によってはかなりの時間を要し、査読コメントをまとめるのも何かと大変だったりします(いろいろ書いてrejectとした論文が、忘れたころに再投稿されて、再査読になることも多々あります)

 

さらに最近では論文数自体が増えていますから、査読の依頼も増加傾向です。


ついこの前には、どういうわけかイスラエルの MINISTRY OF SCIENCE, TECHNOLOGY & SPACE というところから、助成金に対する申請書の査読依頼が届きました(興味深かったので、引き受けました)。日本でいうところの科研費の応募審査と言ったところでしょうか。

 

やっと、抱えこんでいた査読の仕事がなくなって、ほっとしたところに、また査読の依頼が届いたりすると、本当に引き受けるべきか戸惑うこともあります。

  

自分が所属する学会や、これまでに参加してきた国際会議の場合は、貢献したい気持ちが強くあるのですが、まったく関わりの無い論文誌や学会の場合は、やはりお断りしてしまうこともあります。


査読の仕事は基本的にボランティアで、たくさん引き受けたら研究費が増えるなどのメリットがあるわけでなく、断ったからと言って、何か不利に働くこともありません。そうでありながら、かなり時間を使うことになるのは事実なので、無分別にすべて引き受けるのも難しいかなあとも思います。

 

さてそこで、他の研究者の皆さんは、いったいどれくらいの査読を引き受けられているのかな、というのが気になります。

 

他人と比べて十分たくさん引き受けているという根拠があれば、断るときの罪悪感を少しは軽減できそうです。

 

一人の研究者が1年簡に査読すべき論文の数は、次の式で概算できそうな気がします。

 

世界中の論文誌に投稿される1年間あたりの論文数 × 平均的な査読者数 / 世界の研究者数

 

しかし各項目の値を調べるのはかなりの手間がかかりそうです。(論文の掲載数はわかっても投稿数はなかなか調べにくそう)

仮に値が求まったとしても、研究分野によって大きく異なるでしょうから、かなり乱暴な計算です。

 

んー、どうしたものか、と思ったのですが、少し視点をミクロに変えて、一人の研究者の立場で考えるとどうでしょう。すると、次の式で十分そうです。

 

1年間に自分が投稿する論文数 × 平均的な査読者数 / 論文の平均的な共著者数

 

一人一人の研究者が、この式で求まるだけの査読を引き受ければ、査読のシステムは回ります。

 

意外と簡単な式になりました。(もしかしたら、誰でも当然のように知っている考え方だったりするのでしょうか。。


論文査読だけでなく、学会の運営も基本的にはボランティアであり、アカデミアの世界はかなり研究者の貢献によって支えられているわけですが、学会の運営も多様化し、その負担は年々増える傾向にあります。

他方で、学内での校務も増える一方であり、またさらに業績評価の厳格化も進みつつあるなかで、高い品質を保ちながら査読のシステムを維持しつづけることが、今後次第に難しくなるのではないかと言う気もしています。