みたにっき@はてな

三谷純のブログ

ものごとの終わらせ方について

文部科学省が、国公私立の枠組みを超えての統合を視野に入れた大学再編を検討しているという記事。

 

www.sankei.com

 

いよいよ大学も統廃合を考えざるを得ない時代になったのだと、しみじみ思うところがあります。

 

記事にある通り、これから18歳人口が減少する一途ですから、増えすぎた大学をどのように減らしていくか、という議論が必要でしょう。

 

大学進学率を高めるとか、社会人にも大学に来てもらうとか、留学生を増やす、などの取り組みが言われてきましたが、それでももう、今あるだけの大学の数は維持できないということでしょう。

 

つぶすにつぶせないとズルズル長引かせて、かえって傷を深くすることもあるでしょうから、明確な指針を国が主導して示すということには意味があるものと思います。

 

実は最近に、次の本を読んだばかりだったりして、

倒産するとどうなるか (アスカビジネス)

ものごとをうまく終わらせる、というのは、その後のためにも、とても大事であると感じていたところです。この本では、みんな知らないだけで、専門家の手によって上手に会社を倒産させる方法がある、ということが紹介されていました。


ほかにも、別荘を買ってしまった後に、それを売却しようと思っても買い手がいないときにはどうするんだろう。。

ニートが熱海に別荘を買った話(後編)<移動時間が好きだ>pha - 幻冬舎plus


とか、古くなったマンションの解体が遅々として進まずに大きな問題になっているとか。

限界マンションへの対応 - 次に来る空き家問題 - : 富士通総研

 

こういう記事を目にするたびに、最初は勢いで物事を進めても、後々に、それをどう処分するかという問題によって大変なことになるケースが多くあるような気がします。


企業であれば、市場原理によって倒産になるでしょうし、物はいずれ壊れるでしょう、だけど、目に見えないものはどうでしょうか。

 

例えば、地域のお祭りとか、私の身近なところだと学内イベントとか新しく始めたサービスとか、学会運営とか。
誰か一人が最後まで責任をもって「解散!」という判断ができればいいですが、数年単位で代表を引き継いでいるような場合には、どうにかして自分の代だけは上手に乗り切ろうと頑張ることになってしまいます。このような傾向は、役所にも多くみられるものと思います。

 

時代とともに、その必要性が薄れたり、担い手が減っていく中で、よくある表現では、ババ抜きの状態になってしまって、後に行くほど継続がしんどくなります。

 

時代の変化は加速する一方で、人口が減っていく、若手が減っていく、そういう時代に、まさに、このような状態で苦しんでいるところが多いのではないかと感じることがあります。

 

何か新しいことを始める前に、何かを上手に終わらせる、その一般的な方法や、終わらせる基準、というものがあれば、もう少し楽になるのではないかな、と思うのです。