みたにっき@はてな

三谷純のブログ

特許

ジャストシステムの特許侵害が認められて「一太郎」と「花子」の製造禁止さらに在庫の破棄が命じられた、
http://www.asahi.com/national/update/0201/019.html
ということで、今日の夕方からはアチコチのWebページで大騒ぎになってますね。

特許紛争はよくあることですが、今回は国民的ソフトである「一太郎」が対象となっていることと、その特許の内容が「ヘルプアイコンをクリックした後に別のアイコンをクリックすると、そのアイコンの説明が表示される」という、あまりに単純な内容だったために、大きな話題となったのでしょう。

ジャストシステムは主力製品が攻撃されて、さあ大変だ。
という現実的な問題もありますが、これを機に特許というものについて考えてみることも大事かな、とも思いました。

特許庁のページの内容を簡単に言ってしまうと「優れた技術を発明した者にその権利を保証する代わりに技術の内容を公開させることで、その恩恵を多くの人が享受できることにする」というのが、本来の特許の目的のように思われます。これはすばらしい目的ですが、でも残念ながら制度がうまく機能していない面もあるようです。

高林氏が自身のページで次のようなことを書いています。

企業でソフトウェア開発に携わっている知人たちに聞いてみると、特許データベースを検索するのは他社の特許に抵触していないか調べるのが目的であり、「人類共通の財産」として特許の技術を利用しようという考えは毛頭ないようだ。つまり、ソフトウェアの分野では、特許は技術の宝庫としてではなく、地雷原として機能している、というのが実態に近いようである。

この中の、『人類共通の財産であるべき特許データベースが「技術の宝庫」としてではなく「地雷原」として機能している』というのは、見事な表現だと思います。数年前に読んだ一文ですが、今回の件でまっさきに思い浮かんだほど、的を射た表現です。
せっかくの「技術の宝庫」が「地雷原」として機能しているというのは悲しい限りです。
この不幸の原因は、誰もが思いつくであろうことや、簡単な技術で実現できるようなことまでも、特許で特定の出願者に権利が縛られてしまうことなのだと思います。今回のようなインターフェイスは公開された特許を見なくても、普通に考え付くレベルのもののような気がします。
特許を与える、与えないという判断は難しいものですが、当初の目的である「公開することで多くの人が恩恵を受ける」と判断されるものだけを認めるような仕組みにならなければいけないのでしょう。




でも、もう少し視野を広げると、資源の乏しい日本は技術力で食べていくしかないわけですから、このような先行者の利益を保護するシステムは国際社会に無くてはならないものだと思います。特許制度を毛嫌いするのではなく、長い将来に渡ってうまく使いこなしていかなくてはならないのだと思います。





とかなんとか、なんか最近は書く内容が硬いな。。