みたにっき@はてな

三谷純のブログ

ヤフー時代の記憶

ヤフーの元社長である井上さんが事故で亡くなったという記事を見て動揺しています。

 

 

www.nikkei.com

 

私は大学院を休学してピー・アイ・エムというモバイル系ベンチャーで働いていた2000年、9月に企業ごとヤフーに買収されるということを経験し、それから2001年2月までの6か月間、ヤフーの社員として働かせていただきました。その当時、企業のトップとして社員を牽引されていた、まだ40代だったころの井上社長の姿を思い出します。

 

当時のヤフーはまだ社員数が500人前後で、社員全員が一堂に集まることもできる程度の規模でした。井上社長には、ヤフーとの合併が発表された直後の食事会や、社内でのイベントなどでお話しする機会があり、また、私が退職するときには社長室で直々に、大学で頑張れと激励をいただきました。社長室には、たくさんのガジェット(おもちゃ)があったのが印象的です。

 

後にも先にも、大企業の社員として働いたのは、このヤフー株式会社だけなので、今でもよく記憶に残っています。

 

当時はベンチャー企業でiモード対応のWebアプリを開発していたことから、その開発メンバー丸ごと、ヤフー社内のモバイルチームに配属され、当時運用されていたPC向けサービスを順次、モバイルに移行する作業に取り組みました。

 

マイYahoo!の入口ページや、ヤフー天気、ヤフー掲示板など、メンバーで手分けして担当しました。いくつかのサービスに関わった記憶がありますが、とにくかく大変で印象に残っているのが、ヤフーオークション。ユーザー同士の売買が絡むサービスなので、不具合時の影響が甚大で、またアクセス数も膨大ですから、PC版の開発チームとQAチーム(Quality Assuranceチーム)と共に、かなり神経をすり減らしながら作っていった記憶があります。

 

モバイルチームは途中から、Yahoo! Everywhere チームと名前を改め、Yahoo!のサービスをどこでも使えるようにすることを目指しました。ロゴの付いた青いTシャツが、今でも思い出として手元に残っています。このEverywhereチームには、井上社長からの大きな期待が託されているものと感じました。

 

月間○億ページビューを目指す、というような目標を立て、チーム一丸で頑張った当時が懐かしいです。

 

当時のオフィスは、在籍中に1回、全体の引っ越しがありバタバタしましたが、いずれも表参道で、自転車で通える距離でした。ランチの時間になると、ベンチャー時代のメンバーで連れ立って、近くの定食屋に食べに行きました。

 

私はその後、大学院に戻りましたが、その時のメンバーは、ヤフーを離れて新しい会社を立ち上げたり、海外で活躍したり様々ですが、一方で、ヤフーに残ったメンバーは執行役員や、副社長(!)になったり、大活躍しています。

 

社員数わずか10数名のピー・アイ・エムというベンチャーを買収する。当時の井上社長が下した判断は正しかったのだと思います。

 

今では、社員も約5800人まで増えたそうで、当時とは、大きく雰囲気が違っていることでしょうが、私にとってのヤフーは井上社長時代のヤフーです。

 

井上雅博氏の訃報に触れて、当時の思い出を書いてみました。