みたにっき@はてな

三谷純のブログ

4月はじめの人事異動について

毎年、年度初めは人事異動の季節です。

4月から新しい部署に配属され、今も新しい仕事内容に四苦八苦している方も多いと思います。

 

大学の様子を見てみると、事務職員の方々の異動はとても多く、いつの間にか担当者が変わっていたりします。さすがに教員が別の学科や学部に異動することは無いですが、教員が担当する各種委員会もローテーションが行われて、この時期は新しい業務の習得や新しい人間関係の構築に追われる日々となっています。

 

見る場所を内閣府に移すと、内閣府は特に各省庁からの出向が多いという事情もあり、正直なところ、驚くほどの割合で他所に異動される方が多く、業務の引継ぎで苦労されている方々が多いように感じます。

 

このような引き継ぎのコストを考えると、部署間の異動や委員会のローテーションはとても効率が悪いように感じます。

 

せっかく身に着けたノウハウが長く活用できないとか、ようやく業務の改善を提案できるようになったころに次の部署に移ってしまう、対外的な付き合いを継続しにくいなどなど、少し考えただけでも課題点が多数思い当たります。

さらに、過去の担当者の責任まで引き継ぐことになるなど、責任の所在が曖昧になる問題もあります。

 

一方で、ことさら官僚システムにおいては、このような運用が連綿と受け継がれてきた事実があるからには、それなりの理由とメリットがあるのでしょう。

私自身はまだ腑に落ちていないのですが、ひとつには癒着が防ぐため、ということがあるそうです。また、様々な業務を経験することで、組織の業務全体が理解でき、ジェネラリストとして広い視野を持てるようになる、という点も挙げられるでしょう。

 

そして、最近思うようになったのは、組織としての業務を個人に帰属させない、という点の大切さもあるのかな、ということです。

「この業務は、この人しかできない」というようにしてしまうと、その人が何らかの理由でいなくなってしまったときに、組織がまわらなくなります。また、個々人の意思によって、組織の運営が左右されるようだとしたら、それはとても不安定な組織と言うことになってしまいます。

(現実的なところでは、誰もが敬遠しがちな業務も2年だけなら・・、と言って順番に担当してもらう、ということの意味もあるのでしょう。)

 

脱線しますが、映画シン・ゴジラでは、内閣総理大臣を含む多くの大臣が不在になっても、すぐに組織が立て直される様子が描かれていました。

このように、組織全体を眺めたときの強靭さ、という観点からは、人がどんどん入れ替わっても体制が維持される仕組み、というのは大事で、今の年度単位の異動といのは、その点をうまくサポートする機能とも言えそうです。


そうは言っても、年々、求められる業務は複雑さを増し、扱う情報も多くなっています。4月になったので、さあバトンタッチです。と言っても、別の担当者が短期間で前任者と同じように働くのは難しくなってきているのも事実です。そのような状態で、仕事に対する愛着を持つことも難しいでしょう。

 

今のままの運営の仕方には、メリットとデメリットの両方があるでしょうが、このままで本当に良いのか、そうでもないのか、と言っても今以上に良い方法があるのか、私には、まだよくわかりません。

 

運営する側と、現場の立場では見えている世界に大きな隔たりがあるのも事実でしょう。