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みたにっき@はてな

三谷純のブログ

空間曲線での折り

今日は、本日作った折紙作品の紹介だけで済ませてしまいます。

 

A4サイズの長方形に、曲線を1本だけ描いて、その線を折って作った造形です。

きちんと設計したわけではないです。

紙と遊んでいると、ふと面白いなという形に出くわすことがあります。

そんなアプローチで作ってみました。

 

最近は時間がとれなくて、いろいろ計算した結果の緻密な折りを繰り返す、なんてことができないため、できるだけ手抜きした結果の造形ですが、えてしてそういう時の方が、紙が作る自然な美しさが出てきたりするもので、面白いなと思います。

 

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学会プログラム委員の仕事

本日は、VCシンポジウム(Visual Computing / グラフィクスとCAD 合同シンポジウム 2017 )のプログラム委員会による採録論文検討会に参加してきました。

 

場所は東京大学の本郷キャンパスなので、筑波からだと、なかなか移動に時間がかかります。

 

このVCシンポジウムは、コンピュータグラフィックス関係では規模の大きい研究発表の場で、今年は6月に早稲田大学で開催されます。

 

今日は、約20名のプログラム委員が出席する中で、投稿された論文から、どの論文を当日の登壇発表に採択するかを議論しました。


あまり内部の様子は知られていないと思うので、簡単に紹介したいと思います。

 

まず、投稿された論文は1件につき3名の査読者が割り当てられます。
論文の著者も査読者も、互いに名前がわからないダブル・ブラインドで行われます。
論文の内容は各査読者によって1~5点で評価され、Webシステムに登録されます。
その後、同じWebシステムの掲示板を使って、査読者間で査読結果に対する議論を行って採否の方向を決定します。
その際、プライマリという第一査読者が議論をリードします。

 

さて、ここまでがオンラインでの話で、本日は実際にプログラム委員が集まっての議論を行ったわけです。


論文、1件ずつに、プライマリが査読結果のコメントを述べ、全体で採否の決定を行います。極端に得点が高い論文や低い論文は、あまり議論をせずに決定しますが、ボーダー付近の論文については、専門分野が近い委員を中心に議論が行われます。

 

自分の著者に含まれる論文について議論されるときには、公平性を担保するために廊下に出て待機します。

 

こうして、本日は約5時間の議論の末、無事に採録論文が決定したのでした。

 

普段あまり見えない、論文採否に関する議論の舞台裏は、こんな感じなのです。

 

プログラム委員会の皆さま、お疲れ様でした。

大学改革が難しい理由

これまでに、大学改革と言う呼び名の各種の取り組みが、幾度となく繰り返されてきました。

 

大事なので、もう一度繰り返しますね。

 

これまでに、大学改革と言う呼び名の各種の取り組みが、幾度となく繰り返されてきました。

 

私は国立大学教員として10数年程度の経験しかありませんが、その間、毎年のように大学改革と言われ続けてきました。おそらくは、それ以前からも改革改革の呼び声が続いてきたことでしょう。

 

正直なところ、改革という言葉に対する感覚も麻痺してしまった感じもします。


今回話題になっているこちらの話も、つまるところは給料と書かれていますが、もう少し読み込むと、優れた研究者に見合った処遇の問題ということになるでしょう。

 

withnews.jp

 

もっと踏み込めば、研究のできる教員には研究しやすい環境を、そうでない教員には、研究以外で力を発揮する場の提供を、という、適材適所の発想が、なぜ大学ではできないのか、ということに行きつきそうです。


これだけ大学改革と言われ続けながらも、研究できる人にはそれに報いることで全体の最適化を図る、という経済の原理では当然と思えることが、なぜできないのでしょうか。


全体の最適化の必要性は、大学にいる人たちだって、ほぼ全員わかっています。

でも、できない。

実現することがとても難しいのです。

 


大学の教員は、商店街の個人経営者に喩えられることがあります。

 

私から見た大学の様子を、商店街の運営に置き換えて書いてみたいと思います。


===

商店街では、商売のネタは店舗の主が自分で決め、必要な予算も店主が自分で外部から集めてきます。

商店街には、花屋もあれば、金物屋もあり、飲食店もあります。同じ商店街に軒を並べていても、商売の内容は様々です。

 

商店はそれぞれ独立していますから、他の店の商売に干渉するようなことはなく、店主は自分の責任で店を運営します。

 

当然、時流に乗って華やかな店もあれば、昔ながらの商品をこだわりを持って取り扱う店もあります。外部から大きなお金を入れて、大量の店員を雇用し、幅広く展開をしている店もあれば、少人数で小さく運営している店もあります。


商店ごとのつながりは緩く、商店街全体での取り組みは、皆が参加する組合で協議します。


商店街の美化活動には、皆が労力を出し合います。当然、売り上げの大小にかかわらず、平等に参加することが求められます。パンフレットの作成や、組合費の管理などは、年度単位で交代する委員会で回していきます。

組長は一応選挙をしますが、ほぼ持ち回りで順番に数年単位で担当します。

 

これまでの経営は、こんな感じでも十分にうまく機能し、個々の店主がそれぞれに経営努力することで、商店街全体がうまく回っていました。

 

しかし、時代は変わります。

 

人口が減りつつある中、郊外型の大型店も増え、商店街全体の売り上げは低下傾向となってきました。

 

商店街ランキングが毎年発表されるようになり、お客さんがランキング上位の商店街に流れるようになってきました。

 

さあ、大変です。

 

さっそく商店街活性化のための委員会を立ち上げ、新しくパンフレットを作ったり、商店街のWebページをつくったり、または祭りの開催回数を増やしたり、花火大会をしたり、あれこれ頑張ることとなりました。

 

それ以外にも、公衆無線LANの整備、避難経路整備、AEDの設置、防災訓練、電子カード決済への対応、衛生管理、防犯カメラの設置などなど、時代の要請に応じて、すべき仕事は増える一方です。

 

「私の店舗は売り上げが大きく、商店街の活性化に貢献している。売り上げの小さい店が、そういった諸々の仕事を引き受けるべきだ」


という理論など通るはずがありません。
これは、商店街全体の問題なのですから、全員で取り組むべき問題です。


こうして、委員会の数はいくつも増え、会議も連日開かれることになります。


そんな様子を見て、国も地方の商店街の支援に乗り出します。
いろいろな改革のための方針を示し、「商店街活性化のためのスーパーグローバル助成金」を整備します。

 

商店街では、さっそく助成金をもらうために申請書を書くこととしました。
「グローバル化」というキーワードを含めるために、「イタリアの○○モールとの提携」とか「インバウンド消費を呼び込むための海外に対する広報」とか「Webページの五か国語対応」など、助成金がもらえる可能性が高そうな申請書を頑張って準備します。

本当に実効性があるかどうかわかりませんが、まずは助成金をもらうことが第一です。

 

さて、こうしてめでたく国からの助成をもらえることになりました。
今度は、申請書に書いた通りのことは少なくとも実行しないといけないので、能力のある若手店主が駆り出され、イタリアに行ったり、中国語のパンフレットを作ったり、Webページの多言語化の対応をすることになります。

 

こうして、本来の商売とは異なる仕事が増え、売り上げは増えるどころか減る一方です。

 

国は矢継ぎ早に助成金のためのプログラムを整備します。「海外の優れた店舗の誘致支援プログラム」「魅力的な商店街づくりプログラム」「大手企業との連携推進プログラム」などなど。

 

毎年毎年、プログラムへの申請書作成と、プロジェクト推進、その後の報告書に明け暮れる毎日です。

 

それでも成果が出ないので、「より厳密な業績評価」が導入されるようになりました。

 

国も商店街も、市民の期待に応えるよう精いっぱい頑張っています。

 

と、そうこうしているうちに、能力のある若手店主は、香港の商店街で一旗揚げようと出て行ってしまいました。

 

===

この商店街の、それぞれの店主が活き活きと働き、街の豊かさに貢献できるようにするには、いったいどうしたらよいでしょう。

私は、明快な答えを持ち合わせていません。

 

6月中旬に発売されるという、次の書籍の内容が気になります。

www.nakanishiya.co.jp

ヤフー時代の記憶

ヤフーの元社長である井上さんが事故で亡くなったという記事を見て動揺しています。

 

 

www.nikkei.com

 

私は大学院を休学してピー・アイ・エムというモバイル系ベンチャーで働いていた2000年、9月に企業ごとヤフーに買収されるということを経験し、それから2001年2月までの6か月間、ヤフーの社員として働かせていただきました。その当時、企業のトップとして社員を牽引されていた、まだ40代だったころの井上社長の姿を思い出します。

 

当時のヤフーはまだ社員数が500人前後で、社員全員が一堂に集まることもできる程度の規模でした。井上社長には、ヤフーとの合併が発表された直後の食事会や、社内でのイベントなどでお話しする機会があり、また、私が退職するときには社長室で直々に、大学で頑張れと激励をいただきました。社長室には、たくさんのガジェット(おもちゃ)があったのが印象的です。

 

後にも先にも、大企業の社員として働いたのは、このヤフー株式会社だけなので、今でもよく記憶に残っています。

 

当時はベンチャー企業でiモード対応のWebアプリを開発していたことから、その開発メンバー丸ごと、ヤフー社内のモバイルチームに配属され、当時運用されていたPC向けサービスを順次、モバイルに移行する作業に取り組みました。

 

マイYahoo!の入口ページや、ヤフー天気、ヤフー掲示板など、メンバーで手分けして担当しました。いくつかのサービスに関わった記憶がありますが、とにくかく大変で印象に残っているのが、ヤフーオークション。ユーザー同士の売買が絡むサービスなので、不具合時の影響が甚大で、またアクセス数も膨大ですから、PC版の開発チームとQAチーム(Quality Assuranceチーム)と共に、かなり神経をすり減らしながら作っていった記憶があります。

 

モバイルチームは途中から、Yahoo! Everywhere チームと名前を改め、Yahoo!のサービスをどこでも使えるようにすることを目指しました。ロゴの付いた青いTシャツが、今でも思い出として手元に残っています。このEverywhereチームには、井上社長からの大きな期待が託されているものと感じました。

 

月間○億ページビューを目指す、というような目標を立て、チーム一丸で頑張った当時が懐かしいです。

 

当時のオフィスは、在籍中に1回、全体の引っ越しがありバタバタしましたが、いずれも表参道で、自転車で通える距離でした。ランチの時間になると、ベンチャー時代のメンバーで連れ立って、近くの定食屋に食べに行きました。

 

私はその後、大学院に戻りましたが、その時のメンバーは、ヤフーを離れて新しい会社を立ち上げたり、海外で活躍したり様々ですが、一方で、ヤフーに残ったメンバーは執行役員や、副社長(!)になったり、大活躍しています。

 

社員数わずか10数名のピー・アイ・エムというベンチャーを買収する。当時の井上社長が下した判断は正しかったのだと思います。

 

今では、社員も約5800人まで増えたそうで、当時とは、大きく雰囲気が違っていることでしょうが、私にとってのヤフーは井上社長時代のヤフーです。

 

井上雅博氏の訃報に触れて、当時の思い出を書いてみました。

スペイン出身のアーティスト、ホセマリア・シシリア氏との対話

今日は岩手の盛岡に来て、スペイン出身のアーティスト、ホセマリア・シシリア氏(

José María Sicilia - Wikipedia )とたくさん話をしました。

 

私の折り紙に興味をもったということで、この春に筑波大学に来てくださったのですが、その後また来日して岩手で活動をしているということで、ご招待いただきました。

 

次のページを見ることで、ホセマリア氏の日本での活動の一部を知ることができます。

motion-gallery.net

 

上記のページから、一部を引用します。

2011年、「津波によって、多くの人たちが自分たちのスペースから追い出されたことを知り、実際に自分の目で状況を確かめようと来日しました」という彼は、震災により何千という人々が住むところを失ったことに大きな関心を抱き、それを題材にした作品を作ろうとすぐに立ち上がりました。

東北をまわったシシリア氏は、釜石、陸前高田、大船渡、福島、南相馬、などの40を超える場所で、精神療法医や専門家らと共に、子どもたちに3・11の体験や思い出を芸術的に表現させるワークショップを開きます。

 

 

とあるように、ホセマリア氏の関心は震災後の被災地の子どもたちにあります。

 

 今日、実際にご本人から聞いた話の中で、これまでのいろいろな取り組みを聞かせていただきました。

 

たとえば、2011年3月のカレンダーに当時何があったかを書いてもらうワークショップを開いたり、放射線をイメージとしたオブジェを作ったり、我々日本人からすると、躊躇してしまうようなことに果敢に取り組んでいるそうです。実際、ワークショップでは大人たちからの反発も多かったそうです。

 

しかし、それは何よりも被災地の子どもたちのこれからの人生において、現実に目を向けて生きていかなければならない、という厳しいメッセージを伝えるためのようです。もしかしたら、私たち日本人が現実を直視せずに、時とともに風化していくのを待っているような姿に対して警告するものなのかもしれません。

 

ワークショップの開催は、カウンセラの方々のサポートのもと、心のケアには細心の注意を払っているそうです。

 

ホセマリア氏の、放射線をイメージしたという花のような形のオブジェを私が初めて見たときには、正直なところ、なんだこれは?と思ったのですが、氏から直接「現地の子どもたちは、放射線というものに正面から向かい合わなければならない。それが現実だ。」という言葉を聞いた時には、衝撃を受けました。

 

 

ホセ・マリア・シシリア 福島・冬の花 José María Sicilia, Fukushima Flores de invierno: GaleriaLIBRO

 

そして、アーティストは哲学を持たなくてはならない、作品に対して十分に説明できなくてはならない、というような、とても含蓄のあることを(こんな風に書いてしまうとあまりに簡単にまとめすぎですが)、一緒に食事をしながら、ゆっくりたくさん話をしてくれました。

 

私などは、単に綺麗で目を惹く、珍しい形であれば、なんとなくアート作品ぽいものができると軽く思っていたところがあるので、深く反省しているところです。

 

岩手はちょうど桜が綺麗な時期です。

それでも、「私はここに観光に来ているのではない、仕事に来ているのだ」という言葉を、カッコイイと思いました。

 

下の写真は、私が持って行った折り紙作品に、ホセマリア氏が、おもむろにパセリを乗せたところ。

 

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お皿にパセリを乗せて、「よく見ろ」と言った後で、今度は折り紙にパセリを乗せて、「さあ、さっきと何が違う?」と質問されました。

まるで禅問答のようです。

 

見えるものだけが全てではない、奥の深い世界の片鱗を見せていただきました。

今回の話の中で、コラボレーションの提案をいただきましたが、私に務まるでしょうか。

 

これまでに受けた取材依頼

今日は、本学の4年生から取材の依頼を受けて、1時間ほど話をしました。

 

取材で必ず尋ねられる3大質問は、「なぜ今の研究テーマを選んだのか」「今の研究がどのように役立つのか」「今後、どのようなことを実現したいのか」というもので、今回も当然このような質問が含まれていたのですが(私は2つ目と3つ目の質問に答えるのがとても苦手です)、それ以外にも、大学時代に何に興味を持っていたのか、どのようなサークル活動をしていたのか、はたまた、休学中のベンチャー企業での仕事の内容や理化学研究所でのことまで含め、これまでの半生を語るような具合で、ずいぶんとたくさんお喋りをした気がします。

 

熱心に話をきいている様子が伝わってきて、いろいろ核心を突いた質問もあり、インタビューの仕方も、とても上手でした。

 

これまでの多くの取材では、まずは自分の研究内容を理解してもらうのに大半の時間を費やすことが多かったですが、今回はその点が完全に省略されてしまっていたので(大半はインターネット上の情報で事足りると思います)、普段は、あまり触れることのない内容まで話が及んで、なかなか楽しい時間を過ごさせてもらいました。

 

思うに、肩ひじ張らないで、気軽なお喋り感覚で受けられる取材は、受ける側も楽しいです。私の折り紙に関する研究に理解があると、なお嬉しいです。

 

場合によっては、折り紙の研究にはあまり興味は無いけど、仕事で取材に来ています。というのが伝わってくるような取材を受けることもあり、そのような場合は、こちらもなかなかエネルギーが湧いてきません。

 

それでも、雑誌や新聞は、一通りのことを話せば、あとは先方が重要と思うところをピックアップして編集してくれるので、あまり負担には感じません。

 

一方で、テレビ関係の取材は、かなり負担感があります。

映像として見せるために、パソコンを操作しているところ、折り筋を加工している様子、作っているところ、・・、と様々な場面を撮影することになるので、どうしても準備の時間も、取材対応の時間も長くなります。また、質問に対する回答も、しっかり簡潔に、それなりの映像として納めなければならないので、リテイクがあったりして、どうしても芝居っぽくなってしまいます。さらに、事前に「こういうことをしゃべってください」と言われることも多く、これがとても苦手です。微妙にこちらの意図と違っていても、番組構成上、どうしてもこういうことをしゃべって欲しい、という事情もあるのでしょう。

 

何度か、このような経験をしてから、テレビに映る研究者のインタビューを見ると、「こういうことを言って欲しい」と頼まれたんだろうなぁー、とか、「パソコンに向かって何か操作している様子を撮らせてください」と言われたんだろうなぁ、とか、その背景を推測してしまうようになってしまいました。

 

もちろん、このような取材を通して、今の活動を多くの方に知っていただけることは大変ありがたいことです。今後も取材の依頼には積極的にお応えしていこうと思っています。ただ、これまでの記録を見てみると、新聞30件、テレビ16件で紹介いただいたことがあり、もう取材のピークは過ぎたかなぁ、という気もします。

 

機械学習の「半教師あり学習」の簡単な説明

機械学習の応用として、画像の分類がよく例に挙げられます。

 

与えられた画像に対して、「これは猫の画像」「これは犬の画像」というように分類することが目的になります。

 

これには、前もって「犬」とか「猫」などのラベルの付いた画像を準備して、それぞれのラベルに対応する特徴を学習しておくことで、新しい画像に対して「犬の確率○%」というような出力をします。

「これは犬なんだよ」ということを前もって教えておくので、「教師あり学習」と呼ばれます。

 

一方で、そのような情報を与えずに、いきなり「これらを分類してみ」というのを「教師なし学習」と呼びます。

事前に何も教えておかないので、当然「これは犬ですね」なんて答えることはできず、「全体として3つのグループに分かれるっぽいよ。で、これとこれは違うグループっぽい」とか、そういう出力になります。

 

では、「半教師あり学習」とは何でしょう。
これは、ラベルの付いた画像と、ラベルの付いていない画像を使います。

ラベルの付いた画像を準備するのは手間がかかりますが、ラベルの付いていない画像は簡単に集まります。

直感的には、ラベルの付いた画像だけあれば十分で、ラベルの付いていないものがたくさんあったとしても意味がない気がします。でも、ラベルの付いていない画像があることで、学習効果を高めることができます。

 

そのことを、「ラーメン」と「うどん」の識別を行う例で考えてみましょう。


事前に「ラーメン」とラベルが付いた画像と、「うどん」とラベルの付いた画像がいくつかあるとします。でも、数が十分でないと、どちらもなんとなく似ていて、どこを見て判断すべきか微妙だったりします。

 

たまたまナルトが写っているラーメン画像が多かった場合、「ナルトがあればラーメンだ」「ナルトが無ければうどんだ」と判断することになるでしょうし、たまたまラーメン画像には全て赤い器が写っていた場合、「赤い器があればがラーメンだ」と判断することになるでしょう。

 

さて、ラベルなしのデータ群の中から、この「ラーメン画像」と似ているものを探してみます。すると、全体的にラーメン画像に似ているけども、ナルトが写っていないものや、赤い器ではないものが見つかります。
そうすると、「ナルトを基準に判断するのはあまり適切でない」とか「器の色では判断しきれない」ということがわかります。

一方でラベルなしのデータ群の中から「うどん画像」と似ているものを探してみると、赤い器に入ったものが見つかったりします。

そうすると、ラーメンとうどんの違いは、器の色ではなくて「麺の色や太さで判断するのが適当そうだ」という結論に近づくことになるでしょう。

 

このように、「確実にラーメンな画像と、それに似た画像の集合」と「確実にうどんな画像と、それに似た画像の集合」から、「ラーメンとうどんを見分ける基準」が、より適切になる可能性があります。

 

このように、ラベルの無い画像も画像の分類の精度向上に役立てることができるのです。これが、「半教師あり学習」の利点の一つです。